♡器とジュエリー♡
つれづれ #jewelry #旅するジュエリー #silver #gold #accesary #アクセサリー #ダイヤモンド #pethicajewelry #pethica #ペシカ

http://shimoya.exblog.jp/

こんにちは。つれづれ♪
今日は私の陶芸の師匠、”シモヤユミコ” さんの展示に行って参りました。
かわいい♡


かわいいのはさることながら、私がシモヤユミコさんのファンなのは、日常に使いやすいということ。和食にも合うし、洋食にも合うのです。シモヤユミコさんの作品をちょこちょこ集めだしてから、お料理が好きになったのも正直なところです。


ライフスタイルにとっても溶け込むのです☆


シモヤユミコさんは、笠間焼の作家さんで、ご自分でアトリエ・焼き釜ももって制作しています。なんていうか、とっても自然体の女性で、山が好きで。。。山の繋がりでお知り合いになったのです(^_-)


徳利がすごくかわいくて、欲しかったのだけど、師匠のところで作ることを夢みているので、本日はがまんがまん。使い勝手のよさそうなお皿を新調しました!もう、きっとこれは、ワイン&チーズにもヘビロテできそうだし、お漬物や切り干し大根(←最近作るのにはまってます)をのせてもきっと合うはず!るん♡


早速、ジュエリーをのせて写真を撮ってみました。
想像どおり♡


器とジュエリーPETHICA ペシカ]
器 ―→ シモヤユミコ


ジュエリー ―→ Hydrangea こちら!
2月7日まで、南青山の ”うつわ楓” に展示されているので、ぜひのぞいてみてくださいね!


うつわ楓 ―→ http://utsuwa-kaede.com/category/exhibition

http://www.pethicajewelry.com/

PETHICAはこちらを♡ → Website , Instagram , Facebook

人の死について思うこと
つれづれ

今朝、祖母が亡くなった。


父方の祖母。私の父はもう他界している。

数日前、叔父から、「食べたり飲んだりできなくなってきてる、もうそろそろかも、だから会えるうちにおいで」と連絡があった。祖母は8年くらい施設に入っていた。私の一人暮らしよりも立派な部屋の、メンテナンスや介護してくれる方がいる新しい施設。そもそも施設に入ったのは、私の父の死後、痴呆症が始まり、だんだんひどくなり、誰もずっと傍にいれないし、施設の方が安心だから、と叔父が手配した。数年前までは、私も年に何度かこの施設を訪問していた。痴呆症なのに、部屋に行くと、私のことはちゃんとわかってくれて、パッと笑顔を見せてくれていたかわいい祖母だった。「結婚したの?私があなたの歳のころには、子供産んでたわよ。」というプレッシャーになりうる会話を必ずしていた。痴呆が進むと、このフレーズの会話が5分おきくらいに繰り返されるようになって、一度の訪問でどっぷり疲れていた。


私の父の生前、父はマザコンで、毎日とてもよく面倒をみていた。だから、これからは長男の叔父の番だろう、と叔父に祖母の面倒をまかせて、だんだん足が遠のくようになっていった。
そして、今回会ったのが3年ぶりくらいだったかな。祖母の部屋は、全く変わっていなかった。置いてあるものも、なにもかも、そのままの空間だった。叔父から連絡をもらって、早めに行こうと、昨夜会いにいったのだった。


祖母は痩せていた。でも老人だから、想像はできていた。老人にしてはとてもキレイな肌をしているし、キレイな顔立ちをしていた。数日間、食べ物も食べず、飲み物も飲めない状態って聞いていたから、もうそろそろなんだろうな、と予測がつく。きれいな顔をした祖母を眺めながら、「もうすぐこの人は死ぬんだな」って思った。不謹慎かもしれないけれど、その空間にいるとき、そう感じ続けていた。”もうすぐ死ぬ人を眺めている自分”をどこか別から眺めているような気分だった。
ほとんど眠っている祖母が、ちょっとだけ目を開けた瞬間に、「○○だよ~」と話しかけたら、黒目を動かし、最後のエネルギーをふりしぼるかのように手を震わせて動かしてくれた。これが私を祖母の最後。


もうすぐこの人は死ぬんだな、あと数日で死ぬんだな、と感じていてもほとんど涙が出てこなかった。涙が出たのは、あまりこの空間に来てあげられなかったことの悔しさと申し訳なさの懺悔の涙だった。後悔とはまたちょっと違った感じ。亡くなる前に会えて本当に良かったと思っているし後悔という感覚ではない。ただ、私の父が亡くなる直前に、「おばあちゃんをよろしくね」と私に言った言葉を思い出して、父のその気持ちに答えられたかな、という父に対する涙だった。私は10年以上経っても、父のことを想って涙することがある、たまに、まだ父の死を受け入れていないのかもしれない、と感じることがある。私が精神的な面で大人になってから一緒に過ごした時間がないからかもしれない。


父の声を思い出すころとは最近なかったのに、昨夜から、「おばあちゃんをよろしくね」と言っていたセリフの父の声が繊細に思い出せる。


大好きな息子を先に失くしてしまった祖母のこの10年は、どんな10年だったのだろう。父が亡くなってしばらくは、祖母の前で父のことを話してみたりしたけれど、すぐに痴呆が始まってから、父の名を出しても祖母にはあまりわからないのか、それとも思い出したくないのか、会話が成り立たなかった。ショックで痴呆になったのかな、近いことから忘れていくというから。。。いつも女学校時代の話や、満州の話など、ずいぶん昔の話だけをするようになっていた。


目の前の人が、死に近づいていっている。


そう眺めながら、父のことをたくさん思い出した。そして、この死は幸せへの死なんだよね、ってつくづく感じた。空間全体で感じた。祖母はやっと天国の息子(私の父)に会えるんだ。この日をずーっと父も愛犬も、祖父も待っていたと思うよ。心からそう感じた。


今朝、祖母は静かに、苦しむこともなく、息をひきとった。私はその場にいられなかったけれど、きっと昨夜会えて、祖母は私が会いに行くことを待っていてくれたんだろうと思った。そして、今朝静かに息を止めた。その1時間後くらいに私は到着したのだけれど、祖母はまだ温かく、昨夜会った時よりも穏やかな顏をしていた。やっと会えるね、パパに。これから幸せが待ってるね。みんなに会えるね。


天国でみんなに会える、それはただ話の流れ的なものと思っていたけれど、天国って本当にみんなで再会を楽しんでいる場所なのかもしれない。雲の上はきっとそうなんだ、と心の底からというか、体全体から感じた。初めての感覚だった。


父方の祖母が亡くなり、叔父や従妹と、そこまで会うこともない(幼少期は皆で集まったりしたけれど、最近はほぼない)ので、これでこの父方の血縁と会ったり一緒に時間を過ごすこともなくなるのかな、と思うと少し淋しい気がした。時代は変わっていく。世代も変わっていく。自分も周りも変わっていく。想い出は残っても、想い出は褪せる、そして忘れ去られていく。想い出は美化され、本当の思い出は、当事者しか思い出すこともできなくなってゆく。


おばあちゃん、天国でみんなと一緒にすごしてね。


今感じた気持ちをなんとなく残しておきたくて、そのまんまになぐり書きしてみた。

人間力について
つれづれ

手ごたえを感じる、というほど、なんだかさきほど、おぉって自分の人間力がついたと感じたので、成長記録として書いてみる。

最近、私には人間力がついてきたと思う。(友人はここで爆笑だね)

以前は自分から話しかけたりすることが、あまりできなかった。少なくとも日本では。理由はわからないけれどプライドなのかな() 交友関係でも恋愛でも、自分からいくってことができない。話しかけられれば仲良くなるというタイプ(自称、人見知り)。(なぜか海外だとそうじゃないんだけれど。。。)

それが、最近自分から全く知らない他人に話しかけることができるようになってきた。お店で、「これってマージンどのくらいですか?」とか「仕入れってどうやってるんですか?」とかけっこうな質問までも。これまでなら、そういうの聞くのってタブーなんじゃないかな、っていう感があったし、なんとなく心の中で会話して疑問符つけて終わっていた。でも最近、どんどん聞けるようになってきた。

私は営業職についたこともないので、飛び込みとかそういうのに慣れていない。でも最近やらなきゃいけなかったり、頼るものが自分しかないので、頑張ってる。雑居ビルの3階の会社に飛び込みで「すみませーん、教えてください」なんて今までの私じゃできなかったのに、気づけばもうできるようになってきている。そりゃ最初は涙目になったりしたし、エレベーターで3階チーンって鳴るまでは汗だくだくで緊張してるんだけれど。。。

そして気づいたのが、意外とみなさんちゃんと答えてくれたり、答えられない内容でも、怒ったり怪訝な顔をされることがないってこと。

なんで今まで冒険しなかったのかなー。頼るものが自分だけじゃなかったからかな。

そういうやりとりが気づくとできるようになっていて、ちょっとしたお店の店員さんとの話もこれまで以上に続くようになる。初対面なのに久しぶりにあった知り合いのように話せたりする。今日も知らないおばさまと、寒さについてほんわかゆったりおしゃべりできた。そして気づくと名刺渡されてた()

時間の余裕?ゆとり?ううん、そういうんだけじゃない気がする。これはやっぱり私の人間力みたいなものが上がったんだと思う。

と、どうでもいいお話。 よし、がんばるぞ。

Coworkingへ行く!’Clipニホンバシ’ 編
つれづれ

ここ、本当にキレイ。女性にも使用して欲しい、ということからか、女性が好きそうなインテリアでできています。まだ新しいということもあってとても清潔感がありました。

なにしろ、立地がとても良い。三井不動産が運営しているので!!

三井不動産さんは「日本橋にもっと女性や、若い世代を呼び込みたい」ということに力を入れているらしいので、まさにこういうオシャレ感のあるスペースはこれからもっともっと活用されるんだろうなーと思いました。

 

さて、この日、自分より年齢の若い女性と話すチャンスがありまして。。。

女性と話すことっていいことだな、と改めて感じたのです。私は男友達やおじさん友達も多く、これまで仕事の話は男性と話す機会がけっこう多かったのです。職場も男性が多いことがほとんどだったので。でも、今回20代の女性とお話しして、なんだかとてつもなくエネルギーをもらったのです。彼女たちの積極性や好奇心の強さに、負けてられないぞー!って。きっと40代になったら、また30代の頃の自分を振り返って同じこと感じるのかもしれないけれど、やっぱり好奇心の強さって人間のを作っているんだなーと。

私は今、どこにも所属せずに暮らしています。(先が見えなくって不安に駆られる気持ちを持ち合わせながらも。)

30歳前後の彼女たちに、「どうしてですか?」「会社辞める勇気なんてないです」などと質問され、その場では自然にお返事したと思うのですが、帰宅してからなんだか気になって自問してみたんです。「勇気はどこから出てくるんだろう?」と。20代の頃はそんな勇気なかったっけなーっと考え耽てみて。。。ううん、私は20代の頃にも同じような期間があったし、転職もした。気になって昔の日記を読み返すと、同じようなことが書いてあった。ついでに言うと、恋人の条件は「冒険を楽しめる人」とも() きっと私は根っからの冒険好きなんだろう、と思う。

そして、「どうして?」とじっくり自分の心に聞くものだから、私の心も、「こうじゃない?」「こうだからよ、ああだからよ」みたいに色々返してきた。でもその‘色々’は付け足した回答であって、結局のところ答えは一つで、「人生一回だからやりたいことやった方がいいじゃない?!」ということだった。

「冒険心&人生一度きりだから」これを心に聞かせて私は生きているんだなー。

ふと立ち止まって考えたり、フルパワーで過ごしている女性と話したりするのに、Clipニホンバシはいい場所だな、と思った日でした。

(最近、都内は自転車移動している私にとって駐輪にはやや困ったエリアだったけれど。。。)

初めてのCoworking 'PAX Coworking' 編
つれづれ

Coworking(コワーキング)におじゃましてみました!

私の初体験となった場所は東京初のコワーキング、経堂の[PAX Coworking]

自称人見知りの私は(旅を除く….旅中だと人見知りがふっとぶ傾向にあります)、初めての場所、特に東京都内では緊張して仕方がないのです。エレベーターに乗ったとたん、緊張のあまり汗がふきだしました。

そして、3Fに到着。

体がほてりながら受付をすませる。受付のボードに、’ひとこと記入欄’ があったので、頭も働かないまま「初です。」と記入。すると経営者の方がおもしろいね、と小さくつっこんでくれ、何気ないことが嬉しく、やや緊張がおさまりました()

Coworkingは自由な雰囲気とは聞いていたけれど、けっこうみなさん黙々とお仕事されていて。最初はおしゃべりしていいのか、近くの人に話していいのか、よくわからなかったけれど、一番言えることは、想像以上に集中できる、ということでした。

ここのところ自宅で過ごしていることも多かったからかな、テーブル、椅子、気にしないながらもさりげなくある他人の目、そういうのが重なって、私は集中できたのでした。

お昼はみなさんと、ランチに出かけ、なにげない会話を自然体で話すことができました。知っているお店へ連れて行ってもらう、紹介する、そういうことからコミュニケーションも生まれるし、その街の活性化にもつながるし。

午後も利用している方に相談に乗っていただいたり。ちょっとしたスモールトークを愉しんだり。なんだか有意義な一日でした!

ほんの少し勇気を出して、いろいろな場所のCoworkingを訪ねてみよう!と思ったのでした。

                                                            

PAX Coworking は、下の階でpaxi house tokyo という世界初のパクチー料理専門店もやっているのでぜひ!楽しさ倍増です!

http://paxihouse.com/

ランチはアイバンラーメンへおじゃましました。個性があって、麺もスープも美味しかったです。

http://www.ivanramen.com/

ディカプリオが国連平和大使になったけどさ...
つれづれ

ちょっと前だけど先々週、国連気候変動サミットが開催され、レオナルド・ディカプリオさんが演説したことがかなり話題になりましたね。私はこの演説はけっこう好きでした。(ディカプリオさんのファンでもなく純粋にね)

その反面、ディカプリオさんの私生活についてディスるメディアもたくさんありました。自家用ジェットに乗っているとか、自宅は大豪邸で電気の使用量が半端ないとか。でもこういうのってどうなんだろうなーって感じてどこかしらムズムズしたわけです。

国連平和大使に任命されるって本当にすごいことで、とても名誉あること。でも、だからってその人の生活を120%模範的に180度くらい変えなくっちゃいけないのは、とても難しいことだと思う。だから周りが色々ディスるっていうのは無駄な気がする。だって彼は子供の頃から俳優なんだし、スーパースターなんだから。ディカプリオさんが、大使になったので庶民的な家へ引越して、車もなるべく乗らずに歩く、とかされちゃったら、それはそれでスター性に欠けることであって、彼を否定することになっちゃう可能性だって秘めてるし、なによりファンがなんというか。。。別の意味で平和じゃなくなったりして。。。

そんなディスることよりも、彼が世に与える影響力にフォーカスを当てるべきだと思うんです。彼が電気量を減らすことよりも、彼の何万人(何十万人かな)といるファンの一人一人がちょっとでも地球に関して考えアクションを起こす、っていうコトの方がインパクトは莫大に大きい。だからこそ国連も任命して演説までしてもらったんだろうしさ。
もしも彼の情報に未熟さがあったり、セレブリティすぎる発言があったとすれば、それはサイエンチストなり、わかる人が説明したり教えてくれたらいいと思う。

これからの彼の一言で世が動くってことに楽しみです。

人を批判したり、何かを愚痴るよりも、その先に何かあるのか、その先の発明のようなものにフォーカスして生きていく方がずっと世の中は素敵になると思う。

ただただ、追いかけまわして批判している人々のエネルギーこそが地球温暖化に影響しているよねっ?!

と、数年ぶりにテレビをつけてみたところ、マスコミに感じた戯言。

会社を辞めて3か月...
つれづれ

脱サラ?して3か月が経ちました。

24時間すべて自分の時間です。寝坊するも良し、夜更かしするも良し。

最初は、そりゃもう体全体で伸びをして、うっわー自由だー!!なんて怠惰な生活をしていました。でも、いくら自由が好きでも、やっぱりどこかでカチっとしなくっちゃなーなんて自分がいて。怠惰にしすぎるのも飽きちゃうんですよね。(たぶんあと10歳若かったらもっととことん….だったと思うけれど)

その大きな1つの理由はやっぱり女性としての美意識というか、キレイって思われたいという意識はなくならないんです。女性というか人間としての美意識かな。そうなると、昼頃起きて、夜はお酒飲んで、なんてやっていると顏にも出てくるじゃないですか(きっと)。

だから一応規則正しく生活をしようって。

24時間すべてが自分、やりたいことも、やりたくないことも、自分次第。聞こえはいいかもしれないけれど、たまに将来が不安になってプチ鬱な気分になったり、猛烈に誰かとマシンガントークしたいのに一人だったり、立派な会議室でのミーティングやらが懐かしく思えたり。精神状態を保つのもやや大変なものです。

最近は心の美のために、朝とお昼に美味しいコーヒーを淹れるようにしています。やっぱりカフェタイムは大事だな、と。

サラリーマンをやっていた時、よくスタバへ行っていました。でも15分もいると「戻らなくちゃ」っていう気分に急き立てられるし、タイムカードなんてないけれどランチの時間はキッチリ決まっていました。私は「やることやっているんだから!」と堂々としていましたが、少し遅れると注意されることもありました。規定には「フレックス」という言葉が載ってありましたが、そんなのあってないようなもの。大企業はみんなの輪を崩さないことが美とされているんです(場所によりますが)。

今は自由に美味しいコーヒーをゆっくりと飲めます。この時間は私にとってとても貴重で、一日のこと・これからのことを考える欠かせないものです。これだけでも、組織を辞めて幸せって思えていることです(小さいことだけど大きい)。

最近、旅先で様々な国の人と話す機会がありました。私の今の状況や心境(不安なことも含めて)を伝えると、「いいじゃーん!一年くらい旅しちゃいなよー!」「僕も今3か月の休み中だよ。」「僕も来年一年くらい仕事しないで休むつもりだよ。」(英語だからテンション高めで!)などと。

ここ最近、日本人からは「どうするの?次なにするの?次の仕事決まった?まだ働いていないの?」とばかり聞かれていたから、この外国人達のリアクションに驚き、そして、「あぁ、そうだったよな、人生楽しんだもの勝ちだよな」なんて不思議と精神面が安定したのでした。彼らの中には家族も子供もいる人もいました。それなのに、人生をめいいっぱい楽しんでいる姿が魅力的でした。きっと子供も視野の広い感性豊かな人に育つんだろうな、と。ちなみに、彼らは仕事面でもかなり楽しんでいるご様子でした。バランスのとれた人生って素敵ですね。この気づきは日本社会に戻っても忘れてはいけない感覚だなーと。

これから先のことはわからない。未知です。未知=可能性に溢れている。彼らのように人生を楽しまなくっちゃと。Life is shortですからね。

今はとにかく、「やりたいことしかやらない」という生活を自分らしく過ごしています。

(働きたくない、という意味ではないです…働きたいです!念のため 笑)


旅するということ
つれづれ

私は旅が大好きです。誰かと旅することもあるし、一人で旅することもある。

中でも一人旅は、「やめたいのにやめられない」中毒みたいになっている。

子供の頃、大好きだった映画はインディアナジョーンズで、冒険・探検の魂にドキドキした。大人になってから観てもあの感覚は変わらない。私は埋立地育ちの都会っ子だから家の周りにはキレイに整えられた緑だけがあって、野山や森なんてなかったけれど、思い返せば立ち入り禁止の池(埋立予定地)でタコ糸にスルメをつけてザリガニ釣りとかしていた。公園の小さな山で冒険ごっこもしたし、隣町まで自転車で行くのも探検心からだった。ズッコケ三人組という本が大好きで、小学校の図書館に置いてあるズッコケシリーズ棚は隅々まで読みつくした。

昔からそんなだから、冒険や探検=旅を、非現実的とは感じていなくて、現実的なものとして捉えている部分があるのかもしれない。旅は現実逃避というけれど、私にとっては旅こそ現実で、リアルな世界だと思っている。むしろそう思いたいのかな。女性の一人旅?すごいねぇとよく言われるけれど、現実だからすごいもなにもない。もちろん痴漢にあったり、男性より不利なこともあるけれど、それもそこに在る現実の社会なのだと。

頭で何か思想をめぐらせるよりも、「現地に行って見たらわかる、実際はこうなのかー」という「行ったもの勝ち」という考え方が私。実際見てみないとわからないことは世の中の大半だと感じているし、そうしないと納得しない性なんだろうな。

「現地のコトを知る」この点で一人旅がやめられない。なにしろ一人だと現地の人があれこれ世話を焼いてくれるから、リアルな現地に触れやすい。現地の人はもちろん世界中の旅人など様々な人と出会えるチャンスが誰かと一緒の旅よりも数十倍上がる。

そして何よりも自由!

自分次第ですべてが決まる。なにをするにも自分で決められるし、信じるのは自分。自分の心の強いところも弱いところも気づくことができる。私は初めての異国に行くと、ワクワクがとまらない、それは赤ちゃんと同じ感覚だと思う。見るものすべてが新しく、未知の世界で、言葉が通じないとなおさらニューワールド感を味わえる。赤ちゃんって可能性に満ちているでしょう、旅もいかようにも可能性が広がるの。好奇心のままに赤ちゃんのように旅をする。特に途上国の田舎の村を訪ねたりすると、村人は日本人とか先進国とかわかっていないから、私を外国人扱いすることも指さしたりすることもなく、ただただ同じ人間であるっていうことを受け入れてくれる。ごくごく普通に、自然にそこにいる、という感覚で入っていけることもある。そこに国境はないんだと!

旅をしていると、人や文化に感動するだけではなく、自然にも感動する。地平線の見えるキレイな海に大の字になって浮かんでいると、地球に寝そべってるんだぁ!という感覚になって、青空と太陽と海と大地に心の底から感謝する。地球を感じさせてくれるのが旅だ。そういう経験を繰り返しているから私はエコやエシカル、環境にいいものについて考えるようになったのかもしれない。どんな旅であっても、すべては経験になるし、いまの私をつくっている重要な要素です。淋しすぎて心が折れることもあるけれど、それを通りすぎた時に、自分に恋しちゃう!ってくらい自信がつく。実際心の中で叫ぶことも多いけど!
これからももっともっと知らない世界を見たいと思う。


心が豊かであるということ
つれづれ

心が豊かでありたいと、そう思う。

心が豊かってどういうことだろう。
心にゆとりがあるということ、心が満たされているということかな…
ゆとりや、満たされるってどういうことだろう。
経済的に満たされる → 心が満たされる、そうよくいうけれど、
わたしにとっての「ゆとり」や「満たされる」はなんだろう。

やっぱり「人」だと感じる。
家族、恋人、友人だったり。
わたしの生活をとり巻く すべての人。

わたしをとり巻く人
楽しいときに、おもいっきり一緒に笑ってくれる。
問いかけたときに、真剣に答えてくれる。
悩んだときに、そばにいてくれる。
恋しいときに、ハグしてくれる。
冒険したいときに、心から応援してくれて、ときに一緒に冒険してくれる。
踏み出したいときに、共に踏み出してくれる。
嬉しいときに一緒に泣いて。

こんなとり巻く人々のおかげで、私の心は満たされていると感じる。
とり巻く人の笑顔もすぐに浮かぶ。
やっぱり笑う人が好きで、笑う人と一緒にいたくて。
笑顔から満たされて。
笑顔が世界平和につながるって信じていて。

とり巻く人次第で、人は如何様にも変わるし、変われると思う。
とり巻く人次第で、人生は変わるし、変えられると思う。
この人といると人生が豊かになる、って感じられる人と一緒にいたいと思う。
そう感じてもらえるような わたしでありたいと思う。

感情を表せることは、心が豊かである、ということだと思う。

心が豊かだね、って褒められると、やわらかい春風がふれたみたいに嬉しくなった。

とり巻くみなさんのおかげです、って感謝して。
これからも 心が豊かでありたい、心が豊かな人生を歩みたいな、と。


スマホ中毒かも...
つれづれ

ここ最近スマホの調子が悪かったので、ついに機種変更をしてきました。
もうったっくさん種類があって選びきれなかったし、未来のことなんてわからない、という考えのもと、契約期間にしばりのないものを購入。
そして機種変の手続きでカウンターに座り、しばし待ち時間。
この時に、何をしたらいいかわからない自分に気付いたのです。
つまり、とてつもない手持無沙汰を感じたのです。
いつもこういう待ち時間とかってスマホをいじっているわけよね、FBをながめたり。でも手元にそれがないのよね、ボーっとするにもどこ見つめてればいいかわからないわけ。
なんだか私って...

こんなに機種変更が頻繁だと、地球上にゴミが増えるよね...地球の資源が減っていくよね...
ひとつのスマホを大事に永く使うっていうところにフォーカス当てられないのかな...
スマホで我々の生活は進化しているように感じるけれども、実は地球全体でみたら退化なんじゃないかな。
そんなこと考え始めたら、ほどなく手続き完了。

しかし!!機種変にはここからやることがあるんですね、「データ移行」という重要な課題が。

そしてデータ移行の端末の前でスタッフに衝撃なこと言われたわけです、
「このデータ量は3時間くらいかかります」と。
日頃あまりアドレス帳や写真を整理してこなかったので、そりゃデータは蓄積され放題。

3時間...近場をぷらぷらして、それでも時間が余るので、ルノアールに入ったのです。
そしてまたしても、とてつもなーく手持無沙汰を感じます。あいにく予定外の出来事のため本も持っていません。Kindleだってスマホと連動させてるし。。。
スマホがないとこんなに暇なのかぁ...
ん??それってスマホいじるのやめたら時間作れるってことかな?
はて。このスマホはこんなにも私の生活を占めているのかぁ...と。
1日にスマホをいじっている時間はどのくらいあるのだろう、と考えるとゾッとしたのです。
ルノアールに置いてあった日経新聞を読んで、やっぱり新聞は読みやすいなぁ、目に優しいし、なんともこのインクの香りがたまらないし、って。
これからはニュースは新聞で読もう、と思ったのでした。

さらには、こんなにスマホの機能が発達しているんだから、
「1日にスマホ見てる時間2時間越えたらアラート」なんて機能もつくといいのにー!なんてわがままなことまで思ったのでした。

そして数時間後、データ移行が完了したかと再訪するも、データ移行がうまくいかず。
写真が移せませんでした。そして、LINEのこれまでのチャット履歴がすべて消えたのでした。ネットでブックマークや、お気に入りにしていたものも、あとで読むマークも、すべて消えたのでした。
それはもう、とってもショックで悲しくて。
私の認識不足であったわけですが、やっぱりショックはショックです。

でもね、よーく考えてみると、「本当に必要?」って疑問が湧いてきました。
自分の心に問うほど、必要じゃないよね、という答えが...
思い返せば、見返すことなんてあんまりなかったし。
本当に連絡とりたい相手や、つながるべく相手とは、データがなくなってもきっと繋がるって信じているし。
そう思ったら、すぐにスッキリ!!私ってほんと単純だなぁーって(笑)
写真だってそう。本当の想い出は心にあるはずなんですよね。

今日は、そんなスマホ中毒になっていた自分を顧みる一日でした。
ふとした時間って、自分を見つめなおせるし、大切に使いたいものです。
これからは、以前の私のように、文庫本やノートとペンをいつでも忍ばせておこうかな!と思ったのでした。

キモチイイペースト
つれづれ

私は、無理なく、できるだけ環境にいいものを生活に取り入れよう、と心がけています。

少しづつ少しづつ、気に入ったものを見つけ、生活のアイテムにしていく。
気に入ったアイテムには、気に入ったなりの理由が存在する。
理由があるから、大切に使う。
その理由が地球にやさしいモノ・コトだったりすると、人にも薦められる。
なによりも、使用していてハッピーな気持ちになる。

ハッピーな気持ちは、自然と笑みを生み、笑みは周りにも笑みをもたらせます。
飾らない自然な笑顔は、その人を輝かせて、もちろんキレイに見えます。
このキレイ連鎖がどこまでも続いていくといいな、と思っています。

写真は私のお気に入りアイテムのひとつ、インド製の歯磨き粉。練り粉は、セメントみたいな色なんだけれど、ちゃんと磨けます。
100% Herbal Actives だし、 No Animal testing(動物実験反対!) です。だからお気に入り。毎日使うものだから、環境にも優しいモノがいいですよね。海外だと品数が多いので、ドバイ空港に立ち寄った時などにまとめ買いしちゃっています。


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