人の死について思うこと

つれづれ

今朝、祖母が亡くなった。


父方の祖母。私の父はもう他界している。

数日前、叔父から、「食べたり飲んだりできなくなってきてる、もうそろそろかも、だから会えるうちにおいで」と連絡があった。祖母は8年くらい施設に入っていた。私の一人暮らしよりも立派な部屋の、メンテナンスや介護してくれる方がいる新しい施設。そもそも施設に入ったのは、私の父の死後、痴呆症が始まり、だんだんひどくなり、誰もずっと傍にいれないし、施設の方が安心だから、と叔父が手配した。数年前までは、私も年に何度かこの施設を訪問していた。痴呆症なのに、部屋に行くと、私のことはちゃんとわかってくれて、パッと笑顔を見せてくれていたかわいい祖母だった。「結婚したの?私があなたの歳のころには、子供産んでたわよ。」というプレッシャーになりうる会話を必ずしていた。痴呆が進むと、このフレーズの会話が5分おきくらいに繰り返されるようになって、一度の訪問でどっぷり疲れていた。


私の父の生前、父はマザコンで、毎日とてもよく面倒をみていた。だから、これからは長男の叔父の番だろう、と叔父に祖母の面倒をまかせて、だんだん足が遠のくようになっていった。
そして、今回会ったのが3年ぶりくらいだったかな。祖母の部屋は、全く変わっていなかった。置いてあるものも、なにもかも、そのままの空間だった。叔父から連絡をもらって、早めに行こうと、昨夜会いにいったのだった。


祖母は痩せていた。でも老人だから、想像はできていた。老人にしてはとてもキレイな肌をしているし、キレイな顔立ちをしていた。数日間、食べ物も食べず、飲み物も飲めない状態って聞いていたから、もうそろそろなんだろうな、と予測がつく。きれいな顔をした祖母を眺めながら、「もうすぐこの人は死ぬんだな」って思った。不謹慎かもしれないけれど、その空間にいるとき、そう感じ続けていた。”もうすぐ死ぬ人を眺めている自分”をどこか別から眺めているような気分だった。
ほとんど眠っている祖母が、ちょっとだけ目を開けた瞬間に、「○○だよ~」と話しかけたら、黒目を動かし、最後のエネルギーをふりしぼるかのように手を震わせて動かしてくれた。これが私を祖母の最後。


もうすぐこの人は死ぬんだな、あと数日で死ぬんだな、と感じていてもほとんど涙が出てこなかった。涙が出たのは、あまりこの空間に来てあげられなかったことの悔しさと申し訳なさの懺悔の涙だった。後悔とはまたちょっと違った感じ。亡くなる前に会えて本当に良かったと思っているし後悔という感覚ではない。ただ、私の父が亡くなる直前に、「おばあちゃんをよろしくね」と私に言った言葉を思い出して、父のその気持ちに答えられたかな、という父に対する涙だった。私は10年以上経っても、父のことを想って涙することがある、たまに、まだ父の死を受け入れていないのかもしれない、と感じることがある。私が精神的な面で大人になってから一緒に過ごした時間がないからかもしれない。


父の声を思い出すころとは最近なかったのに、昨夜から、「おばあちゃんをよろしくね」と言っていたセリフの父の声が繊細に思い出せる。


大好きな息子を先に失くしてしまった祖母のこの10年は、どんな10年だったのだろう。父が亡くなってしばらくは、祖母の前で父のことを話してみたりしたけれど、すぐに痴呆が始まってから、父の名を出しても祖母にはあまりわからないのか、それとも思い出したくないのか、会話が成り立たなかった。ショックで痴呆になったのかな、近いことから忘れていくというから。。。いつも女学校時代の話や、満州の話など、ずいぶん昔の話だけをするようになっていた。


目の前の人が、死に近づいていっている。


そう眺めながら、父のことをたくさん思い出した。そして、この死は幸せへの死なんだよね、ってつくづく感じた。空間全体で感じた。祖母はやっと天国の息子(私の父)に会えるんだ。この日をずーっと父も愛犬も、祖父も待っていたと思うよ。心からそう感じた。


今朝、祖母は静かに、苦しむこともなく、息をひきとった。私はその場にいられなかったけれど、きっと昨夜会えて、祖母は私が会いに行くことを待っていてくれたんだろうと思った。そして、今朝静かに息を止めた。その1時間後くらいに私は到着したのだけれど、祖母はまだ温かく、昨夜会った時よりも穏やかな顏をしていた。やっと会えるね、パパに。これから幸せが待ってるね。みんなに会えるね。


天国でみんなに会える、それはただ話の流れ的なものと思っていたけれど、天国って本当にみんなで再会を楽しんでいる場所なのかもしれない。雲の上はきっとそうなんだ、と心の底からというか、体全体から感じた。初めての感覚だった。


父方の祖母が亡くなり、叔父や従妹と、そこまで会うこともない(幼少期は皆で集まったりしたけれど、最近はほぼない)ので、これでこの父方の血縁と会ったり一緒に時間を過ごすこともなくなるのかな、と思うと少し淋しい気がした。時代は変わっていく。世代も変わっていく。自分も周りも変わっていく。想い出は残っても、想い出は褪せる、そして忘れ去られていく。想い出は美化され、本当の思い出は、当事者しか思い出すこともできなくなってゆく。


おばあちゃん、天国でみんなと一緒にすごしてね。


今感じた気持ちをなんとなく残しておきたくて、そのまんまになぐり書きしてみた。

*REVOLVER dino network 投稿 | 編集